えりおのそら

定年まであと一年というところで「適応障害」の診断を受けた旦那様。 躁うつ病の私と異食症の猫が、はたして旦那様をサポートできるのか。そんな日々を綴ったブログです。お気に入りのサウナ施設やグルメなども紹介します。

いよいよ出勤

シャキッと

 

今朝、だんな様はシャキッと元気に出勤しました。

2ヵ月振りです。

家族が心配する中、当の本人は至って普通に出かけていきました。

 

休職した当初は、こんなに早く回復すると思いませんでしたが、

会社に復帰できるのは限界は半年ぐらいだそうです。

だんな様のように2ヵ月~3カ月で復職できれは最高で、再発率も低いようです。

 

 



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長らく休んでいたがウソにように元気いっぱい出勤できたのは、

本人曰く、やはり部署を移動させてもらえたことが大きかったようです。

 

更に、復職前に引継ぎや挨拶などで会社に行き、準備万端にしていたことも不安がなく

出社できる要因でした。

 

 

 

アドバイス

 

診療内科の先生からアドバイスいただきました。

自分が思っている以上に他人は気にしてない」ということです。

 

勤続35年、有給休暇以外休んだことないのに2ヵ月も出社していない。

仕事に穴をあけ、たくさんの人にフォローしてもらい迷惑をかけた。

 

いろんな思いがあるけど、周りの人は殆ど気にしてないという事です。

 

実際、復職の挨拶へ行った時も、皆さんにすごく優しくしてもらえて感動して帰ってきました。

恵まれた環境で仕事ができること、今更ながら私も感謝でいっぱいです。

 

 

 

心が健康とは、すなわち鈍感である」と、有名な精神科医は言っていました。

 

真面目で誠実なだんな様。

細かいことは気にしないで、自分の好きに生きても大丈夫です。

誰も思っているほど気にしてないし、

職場の皆さんに優しくしてもらえたのは、あなたが優しいからだよ。

 

 

 

 

 

 

 



 

スーツ姿

出勤

 

来週の復職に向けて引継ぎのために出社しました。

長年あたりまえのようにやっていたお見送が、こんなにも尊いとは思いませんでした。

スーツ姿で登場しただんな様は、めちゃくちゃカッコよかったです。

 

 

 

 

午前中は心療内科へ受診しました。

復職から3カ月は再発しやすいので精神安定剤は内服するように、

引き続き、2週間に一度の診察は欠かさないようにとのことです。

 

 

妻から

 

だんな様は、躁うつ病の私が変な事やおかしな行動をしても、

真正面からどっしりと受け止めてくれて、どんな時も一番に守ってくれます。

 

しかしそれは、彼にとって大きなストレス。

今回の病「適応障害」も、職場だけが原因なのでしょうか。

 

無理せずに。

経済的にも仕事へ行ってくれると助かるけど、

これからの人生も先はまだまだ長いし、共に過ごす時間は限られているから、

とにかく元気でいてほしいです。

 

私の目標は「だんな様を世界一の幸せ者にする」ことだから。

 

 

 

 

 

 

 



復職します

夢のよう

 

休職して2カ月、長いような短いような。

とうとうこの日が・・・4月1日より復帰が決まりました。

 

 

 

休職当初は声もかけられないぐらい落ち込んでいて、向精神薬の影響もあると思いますが一日中寝てばかり、復職は厳しいのではないかと感じました。

 

しかし、一か月もすると気分も落ち着いてきて、食事に気を付けたり、運動したり、家事を手伝ってくれたり、自分を律しようと頑張り出しました。

 

加えて、大好きな野球のオープン戦が始まり、更にWBC侍ジャパンが世界一になったり、極めつけは三人目の孫が産まれたりと、三月はうれしい事がたくさんあって、以前よりも元気になっていきました。

 

 

再び上司との面談

 

上司との2回目の面談がありました。

一緒に心療内科へ同行し、主治医から病状の説明を受けたあと、これからの事を話し合います。

主治医からは「病状も良いので、部署移動ができれば復職も可能ですが、以前の部署なら、もう少しお休みしましょう。」

家では元気いっぱいなので、また仕事できるのではなかと思いきや、適応障害はストレスを感じる場所に行くと再びぶり返してしまう、復職の見極めが難しいと言われいます。

 

 

 

 

一週間後、人事異動の電話があり、皆さんのご尽力のお陰で部署移動できることなり、4月1日から復職が決まりました。

 

本人も床屋へ行きさっぱりして意欲満々です。

 

でも、またダメかもしてません。
適応障害はそんなに甘い病気ではないからです。
無理すると、早い速度でうつ病に移行してしまう怖い病気です。

 

それでもだんな様は「これ以上休むと本当に仕事ができなくなる」と言います。

 

定年まであと一年、自分の仕事人生に悔いが残りませんように。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

お姉ちゃんになった

2歳3か月の花ちゃん

 

今日はママが退院したので妹の詩ちゃんと初対面しました。

 

 

月齢のわりには発達が早く、それ故に家の中の変化にいち早く気づいて、

赤ちゃんができた時には、かなり不安定になってしまいました。

 

幸い近くには私たち祖父母、実妹夫婦、猫のソラくんとキナコちゃんがいたので、

みんなで声をかけフォローし合いましたが、

ママが産休に入ると、ますますエスカレートしていき、大好きな保育園も行かないと大

泣きして本当に悩みました。

 

でも、花ちゃん本人が一番辛かったと思います。

 

何かわからないけど何かが変わる。

どう変わるのか怖くて怖くて、不安で仕方ないのだろうと感じました。

 

悩んだママは、「てぃ先生」のYouTubeを見まくり、

わが子の全てを受け止めるというアドバイスを徹底的に実行したら、

本当に落ち着きだしました。

 

てぃ先生・・・すごい!

 

 

可愛い赤ちゃん

 

実際に会ったらどうなるのかな・・・

心配しましたが、元気な花ちゃんの動画が送られてきました。

 

 

花ちゃんの本当の気持ちは本人にしか分かりませんが、
今日から姉妹として歩んでいく二人。

 

これからの人生をどうか幸せに。

 

ずっと見守っているよ。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

詩ちゃん誕生

 

2023年3月20日 11時15分 (体重3020g・身長51cm)

名前: 詩(うた)

 

 

出産はいつでも命がけです。

お腹の中で大事に育てた後、命をかけて産み、そのあとも新生児を育てるために寝れない日々。

更に、月齢を重ねても悩みは尽きません・・・

人間一人育てるとは並み大抵ではない。

世の中のお母さんが幸せでありますように。

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 

最高のサウナ施設とラーメン

ホームサウナ

 

愛知県最大級の総湯量・炭酸泉がある「アーバンクア

地下800mより湧き出る天然温泉があり、加水なし源泉かけ流しの源泉風呂は28℃前後で、

高温サウナ(90℃)→ 水風呂(15℃)→ 源泉風呂(28℃)を繰り返すのが最高に整います。

この28℃のプールみたいな温度が本当にリラックスできます。

 

 

 

岩盤浴エリアで毎日7回行われる「美汗ロウリュウ」は、音と映像の演出の中、 室内全体に蒸気の波(熱波)を起こし、体感温度を上昇させて発汗を促します。

 

平日も熱いのですが、土日は「極熱ロウリュウ」となり、 ヤケドするのではないかと思うくらい、めちゃくちゃ熱いですが

 

熱々の熱波はデトックス効果もあり、疲労回復・ストレス発散なり気分爽快です。

 

 
 タオルもバスタオルも付いて、大変お得!

 

名古屋ご当地ラーメン

 

 

名古屋の隠れたローカルラーメン「好来系」をご存じでしょうか。

 

本家は名古屋市千種区にある「総本家 好来道場」 淡泊系のあっさりスープが、いかにも身体に優しそうで、薬膳ラーメンとも言われています。

 

好来系ラーメンを掲げる店は、元祖の「好来」で修業した弟子ののれん分けや孫弟子が開店したもので、名古屋にも数十店舗あります。

 

その中でも一番のお気に入りは、名古屋市中区にある「藤味亭」 あっさりながらも好来系の中では濃いめのスープで、ご飯によく合います。

 

特にチャーシューが本当に美味しくて、チャーシュー麺は早めに売り切れてしまうので注意です。

 

 

 

 


 

天然温泉 アーバンクア」と「藤味亭」は隣同士にあります。

 

最初に「藤味亭」に行って満腹になり、そのあと「天然温泉 アーバンクア」で無料コーヒーを 飲みながら休憩し、準備が整ったら熱々ロウリュウで汗を流します。

 

コスパ最高で、一番好きな休日の過ごし方です。

 

 

 

 

同級生との別れ

知らなかった

しばらく連絡がなかった高校の同級生。 彼女は独身だったので、実家に帰るときは気軽に会っていました。

しかし、私が身内の看病などで時間が取れず、どうしているかなと思っていた時 癌で亡くなったと知らされました。

病名は「多発性骨髄腫」血液の癌です。

義兄も2年前に同じ病気で亡くなりました。 癌との闘いは言葉にできないくらい壮絶で、スポーツ大好き、常に体を鍛え、フルマラソンも3時間半で走る義兄が、最後は体重が30キロを切るほどガリガリになって、それでも闘い続けました。


55歳、まだまだこれから楽しい事が待っている年齢です。

昨年、お父さんが亡くなり、母さんと妹と彼女の三人暮らしでした。 お母さんに心配かけまいと、病気のことは妹さんにしか言わなかったようです。

最期の選択も、ホスピスへ行こうと決めていて、コロナで家族も面会できなかったようですが、 亡くなる前日、今後のことを的確に指示して、翌日旅立ってしまいました。

ありがとう

葬儀は家族で執り行われましたが、納骨に参列していただけないかと遺族からお声をかけて頂き、同級生12人で霊園へ向かいました。

同級生の中で、私だけ名古屋へ嫁いでしまったので、35年振りに再会する友人もいて納骨なのに大盛り上がりしてしまいました。

しかし、お別れの時は全員で号泣。

義兄を見てきたから、一人ぼっちでよく戦った、信じられないくらい強い人だったんだと、 今更ながら思いました。

目を閉じると彼女の笑った顔しか浮かんきません。

私と出会ってくれて本当にありがとう。

来世もまた必ず会おうね。