えりおのそら

定年まであと一年というところで「適応障害」の診断を受けた旦那様。 躁うつ病の私と異食症の猫が、はたして旦那様をサポートできるのか。そんな日々を綴ったブログです。お気に入りのサウナ施設やグルメなども紹介します。

休職しました。

 

心療内科にて「1ヶ月の休養を要する」との診断書をもらい、しばらく会社を休むことになりました。

休職当初は、とにかく寝てばかりで、精神安定剤を飲んでいたからかもしれませんが、座ってても寝てしまうのです。今まで寝れなかった分を取り戻しているようでした。

 

基礎疾患

 

2年前の健康診断で、たくさんの病気が見つかりました。

 

多血症とは、貧血とは逆に血が多い状態で、血液中のヘモグロビン濃度、ヘマトクリット値ないし赤血球数が増加する病気。

バセドウ病は、甲状腺の活動が異常なほど活発になり、それによって甲状腺ホルモンが過剰に分泌され、全身にさまざまな症状を引き起こす病気です。

「多血症」「バセドウ病」ともに投薬で完治しますが、パーキンソン病特定疾患の難病です。

 

パーキンソン病とは、 体が動かしにくくなったり、震えたりするなどの運動に関わる症状が出る病気で、何年もかけてゆっくりと進行します。以前は、「パーキンソン病を発症すると、10年後には寝たきりになる」といわれていましたが、現在は効果的な治療薬もあるため、発症から長い年数にわたり、よい状態を保つことができます。

しかし、残念ながら現時点で病気を治す治療はありません。

だんな様がパーキンソン病なんて本当なのだろうか。 あらゆる方法で病気の事を調べましたが、そこには絶望しかありませんでした。

60代後半で寝たりになる?

しばらく受け止める事ができませんでした。

 

 

 

こんなに苦労したのに

 

東京から名古屋に嫁いで35年、当時は義祖母・義母・義父・義弟と同居していました。

都会で楽しく暮らしていた私には、この生活が本当に辛くて、 夕飯のしたくなどは給食を作っているみたいでした。

義母は「全身性エリテマトーデス」という難病を患っており、入退院を繰り返しながら、 53才という若さで亡くなりました。

3年後、義祖母も「食道ガン」で亡くなり、義弟も結婚して家を出ていきました。 義父とは30年以上同居しましたが、「前立腺ガン」で3年前に亡くなりました。

 

2人の娘も素敵なお相手と結婚できて、わが家の近くに各々新居を購入。

嫁としての役目を終え、家には夫婦2人だけ、やっと自由になれる!

そう思ってた矢先のパーキンソン病」でした。

 

 

これからなのに、同居して、長い間ずっと辛かったのに、どうしてまた介護の人生なんだろう。

躁うつ病の病気もあって、考えがどんどんネガティブになり寝れない日々が続きました。

 

共に生きよう

 

思い悩む毎日でしたが、娘たちが励ましてくれました。

30歳を過ぎると、子どもではなく、何でも話せる心友という感じです。 娘たちや孫を見ていると、こんな状況でも大きな幸せを感じることができました。

家族みんなが元気でいてくれるだけで・・・一番辛いのは本人なのだから、 そう思えたら気持ちが切り替わりました。

だんな様がどんな姿になっても、生きていてくれればそれで良し。

共に生きていこう。